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続、楕円球の青春

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続続、楕円球の青春

 written by 富田 信也#69 投稿日時:2016/09/19(月) 23:17

ブログを更新してみた!
今日はJスポーツでジャパン対南アフリカ戦が放映されてました。
もう一年ですか。感動しましたね~。

トップリーグも熱い闘いが続いて今日まで4試合が終了。
ヤマハ、サントリーが全勝キープ!
スティーラーズも1敗のみで3位。これからです。

ところで、個人的に諸般の事情で今年は近鉄ライナーズの
ファンクラブに入ってみた。2500円払うと全試合が無料。
SO重光やSH金のベテランが頑張ってます。
トンプソンルークさんと飲むのが夢です。

我々楽惑はビッグさんの25周年試合のあと、25日は恒例
天理オールドベア戦が行われます。あのグランドで試合が
できるって、かなり幸せですよね。  続くー。

続続ー楕円球の青春

 written by 富田 信也#69 投稿日時:2016/09/04(日) 20:17

芦屋楽惑ホームページ担当大野が、ちょっとブログの更新をしてみた。

暑いのに40名ものおっさんたちが楕円球を追うために三田に集合。合宿@三田フェザンツ
練習も楽しいがアフターも楽しい、恒例の合宿となりました。

夜の宴会には女子2名が参加!どうなる事かと思っていたが、やはり毒気がキツイな。
裸族の祭りとなり、女子22歳は、こんな世界を見た事が無かったんだろうね。
ずっと目をおおて覆って見ないようにしていた。裸の富田が近ずくと、遠くまで
逃げって行ったーーー。確かに富田が近くに来ただけで妊娠するしね。正解!
結局彼女と彼女の同伴者である、酔惑女子マネージャー、O嬢は無事に帰れたのか?

いずれにせよ女子マネージャー募集中!

合宿2日目は試合をしました。バックスはキレがなかったが、若手のダンイチロウ君、
ギータこと柳田のWTB,、ナイスタッチキックのWTB本田一君、期待してます。
見所は、FLジャッカルますおう選手のタックルでした。突き刺さる事何度もーーー!
タックルできるようにみんな頑張らねば。ウムうむ。

次週はビッグウェーブとの試合です。大野は仕事で不参加です。誰かにブログの原稿
お願いしよう。 続く

続、楕円球の青春 Vol.03

 written by 富田 信也#69 投稿日時:2015/09/20(日) 21:35

男たちの意地をかけた戦い

勢いだけで23歳の私が飛び込んだ世界は、想像以上に熱い戦いが待っていた。その戦いの場の名は「商社リーグ」。やや曖昧な記憶ではあるが、今から50年以上も前に、新日本製鐵の幹部が指定商社の10社を束ねて組織したものだと聞いている。夏が明けた9月からシーズンが始まり年内には全試合が終了する、約3ヶ月間の戦いだ。

当時、当リーグに参戦していたのは、三菱商事・三井物産・住友商事・伊藤忠商事・丸紅・日商岩井(現、双日)・トーメン(現、豊田通商)・ニチメン(現、双日)の8社であった。上述のリーグが組織された時には、この8社に加えて、兼松・東京貿易が参戦していたと聞く。「商社冬の時代」と言われ続けて久しく、特に下位商社や専門商社は採用にも苦労をしており、ラグビー人材を確保する余裕が無かった。

私の所属するトーメンラグビー部については、同期の人数こそ30名程度と決して多くは無かったが、この同期の中に体育会ラグビー部出身者が複数名おり、先輩らも同様にラグビー部出身者は定期的に入社していた。そういう意味で、私のような素人ラガーが、ラグビーを学ぶには非常に恵まれた環境であった。知識の無い私ひとりに対して、4~5名の先輩がつきっきりであれこれと指導をしてくれた。後から聞いた話だが、私が練習に参加した当初は「どうせすぐに来なくなるだろう」と、少し遠目に見ていたようだ。ただ、どうしようも無いほど下手くそでも、毎週毎週欠かさず活動に参加する姿と、宴席におけるハジけたキャラが先輩らの目に留まり、グランドでもグランド外でも可愛がり稽古をつけてくれるようになった。

春シーズンは練習や練習試合を繰り返し、夏はビーチラグビーと夏合宿で長い時間をメンバーで過ごし、徐々にチームの結束とテンションは高まっていった。夏合宿の晩に、夕食を終えた後、大広間で集まってホワイトボードを使って、自チームとしての戦い方を協議していた。その内容については、ほとんど何も理解することは出来なかったが、これから始まるリーグで勝つために、メンバーが真剣に意見を交わしていたというのは分かった。先に述べた、早稲田出身の同期もその話し合いの中心にいた。

商社マンになりたい。当時、その理由はきちんと説明できなかったが、熱い人たちが集まる業界だと感じた。OB訪問などで仕事を語るその姿はとてもカッコいいと感じた。学生時分の、その無邪気な憧れとも言える青い思いと、ノリと勢いだけで挑戦し、縁あって内定した会社に入社した。ただ、真の意味で上位商社との格差を目の当たりにしたのは社会人になってからだ。何となく認識はしていたし話には聞いていたが、その差は想像以上だった。悔しさを噛み締めていた。同じ人間じゃないか、同じ男じゃないか、同じ商社マンじゃないか、と。

グランド上の試合においては、その勝敗が結果として刻まれる。強い方が勝つ、勝った方が強いのだ。「あの試合は勝てた」などと言う事実は存在しない。ビジネスの場では到底適わないほどの圧倒的な差が存在するかもしれない。ただ、ラグビーにおいては勝つことができる可能性がある。自分らがどこまでやれるか、やったかだ。当然相手も同じように鍛錬を積んでいる。条件は同じだ。これは先輩の誰かに言われた話ではない、自身の中に芽生えた感情だ。

そのために、自分ができることが何かあるのか?あるとしたらそれは何だ?
私のラガーマンとしての人生はここで始まったのかもしれない。

つづく

続、楕円球の青春 Vol.02

 written by 富田 信也#69 投稿日時:2015/09/12(土) 22:30

「とみたー」ドンドンドン「とみたーー」ドンドンドンドン!

土曜の早朝、クラブ(踊る方)で朝まで大騒ぎして、千葉県柏市にある独身寮に戻った後、一時間も経たないうちにドアを叩く音と、先輩のけたたましい怒号で目を覚まさせられる。鍵などかけていなかったので、その直後には先輩が部屋にズカズカと入ってきて、散らかっている部屋の中から私のジャージやソックスなど適当に抱えて、「行くでー」と。

朦朧としながら、乗り込んだ車には別の先輩が運転席に座っており、笑いながら「とみた、またクラブか?」と。同じく後部座席には、さっきまで一緒にガールハントをしていた同期が同じように寝ぼけまなこで座っている。ほどなくして、車が出発するとまた深い眠りに落ちていく。そして、気づくとグランドに到着している。

とにかく眠かった。不十分な睡眠時間のまま、毎週毎週グランドに強制連行させられる。グランドに到着すれば、さらに強烈な先輩らが待っており、一息つく間もなく練習が始まる。また、この練習が苦痛でならなかった。走るのもしんどければ、体をぶつけ合うことなど日常生活には無いのだ。私が素人であることを知っている同期も、何故か分からないが体を固めて全力でぶつかってくる。カエルのようにひっくり返りながら「容赦するとかないのか!」などと心の中で思いながらも、練習中は自分の順番が回らないように、なんとなく存在感を消して塊の隅にいるようにした。

また、当時の会社のラグビー部主将が、昔ながらの体育会出身者で、ことあるたびに蹴っ飛ばされていた。敬語を使うことができない私が、タメ口を叩くたびに蹴っ飛ばされたし、練習中「痛い、痛い」と言う私にも、「練習で、痛いとか言わねーんだよ、普通は!」と蹴っ飛ばされた。

このように辛い「苦行」でしかない週末の午前中であったが、それでも継続出来たのには理由があった。

それは、辛い練習を終えると、毎回必ずメシを食わせて貰えるのだ。それは、焼肉だったり、新鮮な魚だったり、炭焼きのハンバーグだったりと。お金を使う必要が全く無い。往復の交通費もメシ代も、一日お金を使わずに済むのだ。給料の200%を遊びにつぎこんでいた私には、非常にありがたい話であった。そして、その場には必ず美女が居るのである。誰の彼女かどうかも分からないが、毎回違う美女が複数名、この苦行のあとのメシに同席している。そして何故か、その目は優しく微笑んでくる。なんなんだ、これは!こんな世界があったのか!と。

ラグビー、練習は辛いし痛いし、汚いし臭いけど、この二時間耐えれば、なんだかキモチがいいもんだ~。
というのが、23歳の私に刻まれた感情である。調教に近い。まさにアメとムチ。

ラグビーを始めた「熱いきっかけ」とは裏腹に、続けた理由は、この「軟弱な邪心」であった。
こうして、私はラグビー(の場)にのめりこんでいく。ただ、競技の面白さはまだ知る由もない。

つづく

続、楕円球の青春 Vol.01

 written by 富田 信也#69 投稿日時:2015/09/04(金) 22:34

「トミタにも出来るし」九州生まれの熱血漢が言い放った、無責任なこの一言が私の人生を大きく変えた・・・

総合商社の内定を獲得した後、内定者の集まりで意気投合したその男は、アカクロジャージを目指して日々鍛錬を続けていた。興味深く色々と話を聞いていくと、夏に、私の出身地である平塚市のビーチで、何やらラグビーの大会があるという。八王子で一人暮らしをしていたが、両親への内定の報告がてら地元に戻ったときに、この同期が砂浜でやるラグビーとやらを見学しに行った。1996年の夏のことである。

その時は、全く知る由もなかったが、そこには、元早稲田大学ラグビー蹴球部監督の中竹竜二や、95年の早明戦で逆転トライをした山本肇なども居たようだ。砂浜に作られた特設コートの脇で、彼らが巧みに楕円球を回しながら前進していく姿をボーっと見つめながら、みな筋肉隆々でいいカラダしているなあ、などと遠い世界のことのように捉えていた。

その後もその同期と連絡は取り続けていたが、お気楽な大学生活を送っていた私は「ラグビーの試合を観にいこう」などと思うこともなく、残りわずかの学生生活を謳歌していた。就職活動で知り合った男女でパーティーしたり、バイトのメンバーでスキー旅行したり、海外旅行にいったりして。その一方で、彼は死ぬ気で毎日闘っていたことを後から知る。

春になり、卒業式がたまたま同じ日だった彼と、新宿で会い、ラグビー部の同期たちを紹介してもらい、その宴席も少し参加させてもらった。友達もたくさん居たし、親友と呼べる友もいたが、彼のその同期たちとの関係を知るにつれ、何か自分の知らない世界がそこにはあるのだと感じていた。とにかく楽しそうなのだ。深いところで繋がっている、目に見えない何かを感じたのだ。

入社式を終え、独身寮での生活が始まり、その同期にラグビーのことを色々聞いていった。アカクロを着てグランドに立つために4年間を捧げてきた。極限の自分と向き合ってきた。でもそれは叶うことはなかった。それでもやるべきことはやった。尊敬できるライバルが居た。一生の仲間を得た。そして、これからもラグビーは続けるのだ、と。熱っぽく語る彼の居るその世界は、とても眩しく思えた。

その話を聞いた私は、何かとても大きな衝動にかられた。その世界を覗いてみたいと思ったのだ。彼に聞いてみた。
「俺にも出来るかな?」

そこで返ってきた答えが冒頭の台詞である。
何の根拠もなく、無責任にも思えたその言葉には、青春を楕円球につぎ込んだ男の確信があったのかも知れない。その気になった私の生活は、その週末から汗と土にまみれていった。

つづく

※因みに、私が最後の大学生活を謳歌している時に、日々格闘していた同期(中竹組)の一年の軌跡を追ったノンフィクションが発売されている。興味ある方は、ぜひご一読を。(私も持ってますので、希望の方が居ればお貸しします)
■オールアウト―1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組 (単行本)
http://www.amazon.co.jp/review/R2U8GU6KG3SM6B

 
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