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続、楕円球の青春

続、楕円球の青春 Vol.01

投稿日時:2015/09/04(金) 22:34

「トミタにも出来るし」九州生まれの熱血漢が言い放った、無責任なこの一言が私の人生を大きく変えた・・・

総合商社の内定を獲得した後、内定者の集まりで意気投合したその男は、アカクロジャージを目指して日々鍛錬を続けていた。興味深く色々と話を聞いていくと、夏に、私の出身地である平塚市のビーチで、何やらラグビーの大会があるという。八王子で一人暮らしをしていたが、両親への内定の報告がてら地元に戻ったときに、この同期が砂浜でやるラグビーとやらを見学しに行った。1996年の夏のことである。

その時は、全く知る由もなかったが、そこには、元早稲田大学ラグビー蹴球部監督の中竹竜二や、95年の早明戦で逆転トライをした山本肇なども居たようだ。砂浜に作られた特設コートの脇で、彼らが巧みに楕円球を回しながら前進していく姿をボーっと見つめながら、みな筋肉隆々でいいカラダしているなあ、などと遠い世界のことのように捉えていた。

その後もその同期と連絡は取り続けていたが、お気楽な大学生活を送っていた私は「ラグビーの試合を観にいこう」などと思うこともなく、残りわずかの学生生活を謳歌していた。就職活動で知り合った男女でパーティーしたり、バイトのメンバーでスキー旅行したり、海外旅行にいったりして。その一方で、彼は死ぬ気で毎日闘っていたことを後から知る。

春になり、卒業式がたまたま同じ日だった彼と、新宿で会い、ラグビー部の同期たちを紹介してもらい、その宴席も少し参加させてもらった。友達もたくさん居たし、親友と呼べる友もいたが、彼のその同期たちとの関係を知るにつれ、何か自分の知らない世界がそこにはあるのだと感じていた。とにかく楽しそうなのだ。深いところで繋がっている、目に見えない何かを感じたのだ。

入社式を終え、独身寮での生活が始まり、その同期にラグビーのことを色々聞いていった。アカクロを着てグランドに立つために4年間を捧げてきた。極限の自分と向き合ってきた。でもそれは叶うことはなかった。それでもやるべきことはやった。尊敬できるライバルが居た。一生の仲間を得た。そして、これからもラグビーは続けるのだ、と。熱っぽく語る彼の居るその世界は、とても眩しく思えた。

その話を聞いた私は、何かとても大きな衝動にかられた。その世界を覗いてみたいと思ったのだ。彼に聞いてみた。
「俺にも出来るかな?」

そこで返ってきた答えが冒頭の台詞である。
何の根拠もなく、無責任にも思えたその言葉には、青春を楕円球につぎ込んだ男の確信があったのかも知れない。その気になった私の生活は、その週末から汗と土にまみれていった。

つづく

※因みに、私が最後の大学生活を謳歌している時に、日々格闘していた同期(中竹組)の一年の軌跡を追ったノンフィクションが発売されている。興味ある方は、ぜひご一読を。(私も持ってますので、希望の方が居ればお貸しします)
■オールアウト―1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組 (単行本)
http://www.amazon.co.jp/review/R2U8GU6KG3SM6B

 

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文章うまいな!
次回も楽しみにしております。

Posted by おにょ at 2015/09/09 18:15:14.573769+09 PASS:
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