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楕円球の青春 2012/1/28

大学生と社会人の実力差が接近していた時代

 written by 清水 誉 投稿日時:2012/01/28(土) 14:03

こんにちは。芦屋楽惑主将清水です。最近ほんとうに寒いですね。寒いとチョコレートがよく売れるし、これから2/14バレンタインに向けては一年で一番の繁忙期なので、お陰さまでブログがなかなか更新できないほど忙しくさせて頂いています。さて、いささか旧聞に値しますが、お正月にNHKのBSで「伝説の名勝負」っていう長時間番組をやってまして、昨夜ようやくビデオを見ました。内容はなにかというと、1985年新日鉄釜石Vs同志社大学の日本選手権を松尾氏と平尾氏が対談形式で振り返るというものでした。とにかく何が懐かしいというと、映像が昭和ですよね。「All Ways三丁目の夕日」の世界ですねえ。なんていっても国立競技場は6万人以上観客が入っていますし、ラグビーボールも懐かしい茶色の革製だし、ラインアウトにはリフティングはないし、ラックモールの密集なんていまだったら全部反則。スポーツっていうのも変化(進化?退化?成長?衰退?)するんですねえ。昔の映像を見て改めて実感しました。この試合最終的にはダブルスコアに近い点差で新日鉄釜石が7連覇を果たすわけなんですが、タレントをずらり揃えた同志社とのは実力差ほぼ互角でしたね。1985年というのは私が大学1年生のときなんですが、当時というのは大学生のチームが本気で日本選手権をとれると思っていた時代でした。事実私の大学生活4年間で2度も大学生のチームが日本選手権を制したという大学ラグビー花形の時代でした。85年同志社が新日鉄釜石を崖っぷちまで追い詰め、これを境に北の鉄人の時代が終わりを告げ、群雄割拠の時代へと突入したわけです。86年に慶応がトヨタを18対13で破り、88年には早稲田が東芝を22対16で破りました。その後トップリーグができて社会人と学生の実力差が急速に広がって、日本選手権が形式を変えたりと、いろいろなことがあり、いま振り返ると学生が日本選手権を目標にしていたのはあのころが最後だったなとしんみりします。それにしてもあの頃ラグビーでなんであんなに人が集まったんでしょうねえ。冷静に考えて信じられません。ところで、番組の終盤に松尾氏が「どっちのチームも最後まで攻めていて気持ちいいねえ。今みたいに時間稼ぎしたりしないで。。。云々」って言っていたんですが、本当にその通りだと思います。時代なんですかね。バブル絶頂期、良くも悪くも日本中が国内外で攻めまっくっていた時代だったんで。そんな気がします。時代は移り変わりましたが、我々芦屋楽惑もあの時代を知っているメンバーが多いわけですから、今年は攻めて攻めて攻めまくりたいと思ったりします。最後になりましたが、このゲームのノーサイド直前ゴール前右ペナルティから釜石No8千田がトライするシーン。声援で声が聞こえない中、SO松尾が8の字を書いてサインを伝えたとされてましたが、実は「8」じゃなくて「2C」だったんですね。1はSO松尾で2がCTB小林(かな?)、その横にNo8千田がライン参加するというC=CHIDA(千田)の意味。うーんそうだったのかあ。ラグビーのサインは奥が深いです。はい。明日は山惑さんを迎えての今年の初戦。しっかり攻めていいゲームをしたいですね。文章内は敬称略させてもらいました。あいつはけしからんと言わずご了承ください。by清水

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