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楕円球の青春 2012/1/19

ガキの頃からラグビーが大好き

 written by 清水 誉 投稿日時:2012/01/19(木) 23:31

こんばんは。芦屋楽惑主将清水です。先週から練習が再開、みなさんの元気な顔が並び嬉しかったです。毎年年初の最初の練習は非常に出席率がいいのですが、今年も30人以上のメンバーが練習に参加してくれました。試合ではなくて、真冬の早朝の練習にこんなにたくさんのオヤジが集まるチームって全国津々浦々ありますかね?強い弱いは別にして芦屋楽惑って素晴らしいチームだなと思います。はい。さて、きわめて私事なんですが、年初に地元千葉県松戸市に戻ったときに、すごい久しぶりに中学校の同窓会に出席しました。みな社会人になって地元を離れた人間が多いのですが、この年齢になって親の介護のためとかいろんな理由で地元に戻ってきているようです。老いた両親から遠く離れたところで生きている私は、なんて親不孝なのかと改めて反省するのです。はい。そんな同窓会の席で当時親友だったO場くんと25年ぶりに再会しました。彼は地元の県立高校からラグビーをはじめ、中央大学ラグビーに進み、その後名門朝日生命ラグビー部で35歳まで現役を続けたラガーマンです。彼が言うには、ラグビーをはじめたのはお前の影響だと。当時彼はサッカー部のエース。中学は名門習志野中学。1年生からセンターFWで、3年時は主将。あくまでも本人談ですが、本来ならサッカーの名門市立船橋に進学し、その後Jリーグでも活躍できる逸材だったのにと。うーん。そのころの私ですが、実はあまり公表してないのですが名門W大学のOBであった父親の影響を強く受けまして、ラグビーにのめりこむ変わった少年でした。そんな私が転校生のO場くんと親友となり、すっかり記憶にないのですが、O場くんいわく中学校から高校に進学する直前の春休みに秩父宮に無理やりラグビー観戦に連れていかされたらしいのです。その一戦に強い感銘を受けてしまった若き日のO場くんは本来進むべきサッカーの道を踏み外し、ラグビーの道へと歩みを進めることになってしまったらしいのです。(そんなことになっていたとは全く知りませんでした。。。)そして彼はその後35歳まで現役を続けることになったのでした。結局、私は27歳で引退したので、彼は私よりも8年も長く現役でプレーしたわけです。素晴らしいです。私の心無い誘惑で一人の人間の人生を狂わせてしまったかと思うとなんだか切ない気分になります。でも、彼はラグビーをやってよかったと心から思っているし、なによりもフェースブックの私の写真をみてお前がいまだにラグビーをやっていることがわかって嬉しかったと、そんなふうに言ってくれました。こちらが全然認識していないところで、第三者にこれほど大きな影響を与えていたのかと思うとびっくりですけど、O場くんがそんなふうに思っていてくれてうれしかったです。そして芦屋でいまだにラグビーをやっていてよかったなと思ったりしました。余談ですが、久しぶりの同窓会には永遠のマドンナ真理ちゃんも来ていて、ちょっぴり胸キュンでした。by清水

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