楕円球の青春
ノーサイド
投稿日時:2012/12/31(月) 20:14
こんばんは。芦屋楽惑主将清水です。今日は大晦日。今年も残すところあと4時間余りとなりました。私はここ数年、年越しは私の両親を招待して家族一同京都で過ごしています。年に一度の親孝行&家族サービスのつもりです。それにしても毎年毎年思うのですが、振り返る1年間は本当に短く感じます。ひとつひとつ思い出すと結構いろいろなことがあるのですが、いずれにしても宇宙時間では一瞬のできごとなのかと感じます。さて、今回は今年最後のブログとなりますので、どんなネタにしようかなと数日前から考えていたりするのですが、一年の終わりに相応しく「ノーサイド」をテーマにしてみようかと思います。1984年にリリースされた松任谷由実の「ノーサイド」は、私がまさに高校3年のときに花園出場の夢破れた年のものです。これまで通説では1984年1月7日の第63回全国高等学校ラグビーフットボール大会決勝の天理高校対大分舞鶴高校戦が本作に極めて近いシチュエーションであり、この試合がモチーフとされたのではないかと言われていました。その通説を裏付けることになったのが、朝日新聞2012年12月1日土曜版「うたの旅人」で、この試合に着想を得たとの松任谷由実のコメントが紹介された記事です。この記事によると、松任谷由実は「このはりつめた光景をなにげなく自宅のテレビで見かけ」「どんなに悔やんでも、高校生が部活を辞めたら、次のシーズンは、自分と同じゼッケンをつけて駆けてゆく誰かを見ていることになる。その情景が思い浮かんで、ぐっと来てしまった」とのこと。この試合、終了直前に大分舞鶴がトライ。ゴールキックが決まれば同点で両校優勝だったのですが左に外れてノーサイド。天理高校の全国優勝となりました。実はこのゴールキックを蹴った選手は大分舞鶴高校の松浦主将。彼は決勝戦当日が鹿屋体育大学の入学試験と重なってしまったため、本来であればピッチに立つことができなかったのですが、世論に後押しされた大学側の配慮で早朝に時間を繰り上げて入試を実施。飛行機で花園に駆けつけて出場した選手なのです。その神秘性がより一層ゲームのフィナーレをドラマチックにしてしまったわけですが、そんなことがあってその後数年にわたってラグビーはバブル時代のトレンディースポーツとなっていくのです。日本でのラグビーというスポーツのある意味全盛期であり、そして、そんなありがたい時代に運よく現役生活を送っていたのがほかでもない私なのです。今年度全国高校ラグビー大会への参加校は992校。過去最多の1991年比498校減です。しかも282校が部員不足で単独チームではありません。そして一部の有力校に力のあるプレイヤーが集中して、地方大会決勝でも200点以上の点差となったり、全国大会でさえも100点ゲームになったりするのは、とても見過ごせない現実なのです。2013年、世の中もラグビーももう一度「熱き時代」を取り戻したいものです。最後に今日のブログが今年でちょうど50本目となりました。なんとか週一での更新をと思っていたので、ちょっと足りなかったようですが、今年も思いっきり駆け抜けた一年であったことには変わりはありません。来年巳年。私は年男。これまで以上に熱くラグビーをやりたいと思っています。よいお年を。By清水
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